shop in shop day2

この日は北九州のカルチャーシーンを牽引するメガヘルツより、tacos friday改めtacos sunが出店。
説明しよう。MEGAHERTZ は、音楽を軸に様々なカルチャーに興味を持つ人々が集う”場”として1999年にオープン。基本の営業スタイルはカフェバー。イベント時は、LIVE・DJパーティー・WORKSHOP・エキシビジョン等等、各種イベントが開催されています。そんなMEGAHERTZが金曜の夜な夜な開催する全タコスファンに贈る感動の花金ナイトが”TACOS FRIDAY”だ!



ジャークチキンタコスとシュリンプタコス、もちろん両方食ったんだけど言わずもがな、美味い。メガヘルツクルーに感謝、来年も必ず来てほしいです。
この日は混雑することもなく、いいサイクルでお客さんに来ていただいた気がする。なべさんは来る人来る人が持ってきてくれるお土産を片っ端から全部食ってました。中でもしんごちゃんが持ってきた宝来屋のシュークリームが超お気に入りの様子。
みなさんとまったり交流しているとあっというまに夕方に。

最後にみんなで記念撮影。とってもいい写真。
ご来場くださったみなさま、本当にありがとうございました。また来年も開催できるように、がんばります。

噂ですが来年は更にパワーアップするみたいですよ。あのレモンサワー屋さんが...!

前日の酒が抜けきらない中、歯を食いしばって起床。会場準備へ。
前年に続き出店してくれるTRAVEL BOOKSの遼くん from 北九州と、おなじみ麦カレー from knotに加え、旅仕度coffeeのさんちゃん from 俵山と、loolの憲くんはヨーロッパからたくさん雑貨を携えて出店。
テント設営を終え、いよいよイベントスタート。

前日knotで麦カレー喰いそびれて大はぶてだったナベさんもようやく落ち着いた。
ワイルドバンチとどん被り日程でどうなることかと思っていたけど、遠くは鹿児島、福岡、京都、愛媛などからもたくさんのお客さんが来てくれたました。
 
  
 
西日本では同イベントでしか購入できない代物がズラッと並ぶ。


岐阜在住の陶芸家 大江 憲一氏による陶展。大江さんの醤油差しはひとつひとつ表情が違うので、みなさん選ぶときはとても真剣でした。本舗初公開の鉢も個性的で今後の展開が楽しみ。今回は超過密スケジュールでしたが次回はもっと充実させたいですね。岐阜の工房にも必ず行きたい。



滑り込みで広島からオダ理容室 小田さんが到着し、一日目は無事終了。
大江さんは翌日が娘さんの誕生日ということでこの日中に帰らなければならないにも関わらず、どうしても希少魚 オヤニラミが見たい!ということで、うちの長男こうたのアテンダントのもと近所の一の坂川へ。残念ながらオヤニラミは釣れなかったようだが、ヨシノボリやハヤを釣って楽しんだ様子。ちなみに同行したtravelbooks遼くんは何も釣れず。こうたに「センスない」と一蹴されていました。
その後は山へ移動してみんなでバーベキュー。うちの親父とナベさんが意気投合し、東京話で盛り上がっているのも微笑ましかった。

8月19日 金曜日

この日は翌日からのtacoma fuji records shopin shop&大江 憲一 陶展の準備で朝から大忙し。
夕方、偶然にも同じ新幹線に載ったタコマ渡辺さん(from 東京)と大江さん(from 岐阜)を新山口までお迎えに。この日の為にコンディションを整えてきたナベさんは改札を元気いっぱいに出てきたが、それとは対照的に大江さんは多忙からの疲労とお子さんからのもらい風邪で絶不調。とりあえず車に荷物を積み込み、ホテルへチェックイン。天皇陛下もお入りになられた名湯 山水園の入浴付きプランをゲットしていたので御二方に長旅の疲れを癒してもらった。
そういえば新山口で移動中、見知らぬ車から「なべさーん!」という声が。なんでこんなとこに知り合いいんだよ!と本人含め一同が振り返ると、ワイルドバンチフェスで前入りしていたspecial othersリョータ氏ではないか。
温泉効果で少し体調も回復した大江さんと、とにかく去年食った地鶏のたたきを食わせろと駄々をこねるなべさんを連れてkemuriへ。
何食っても美味い!とレモンサワーぐいぐいやっつけるなべさんををみていると気持ちいいのだが、ちゃんと自分の体調と明日のことを考えながら飲む大江さんのほうがきっと正解なのだろうなんて思いながら、ぼくもハイペースでレモンサワーを。
なべさんがモジモジソワソワし出したところでknotへ移動。麦のカレーが食いたい禁断症状が出始めた様子。


「おぉー!麦ちゃん久しぶりー!元気だったー!?」
「はい〜!渡辺さんも元気そうで!」
と再会を喜ぶのも束の間。
「麦ちゃん、早速だけどカレー食わしてくれよ!このために山口に来たといっても過言ではないんだ!」
「す、すみません〜 今日のカレーはすでに売り切れちゃいました〜」

「あんだとゴラーーーーー!!!!」

大江さんは翌日に備え早めにホテルへ。ぼくは怒り狂ったなべさんをなだめるべく(嘘です)13時過ぎまで飲んでたかな。
渡辺さんとホテルまで歩いたところまでははっきりと記憶があるのですが、次に目覚めた時、ぼくはパークロードでたくさんの星たちを仰いでいた。
なんと路上で寝てしまっていたのだ。しかも明け方の4時まで。。新聞配達の方が「路上に人が倒れている」と通報してくださり、駆け付けたお巡りさん三人に起こされる始末。
起き上がって歩いてみてと手を引かれると、とりあえず無傷であることを確認。そんなに酔っているわけでもなく、まっすぐ歩けるからもう大丈夫ですとお巡りさんにお礼をするも、家まで送り届けると聞いてくれない。これ、いわゆる補導ってやつね。
若い巡査さんと世間話をしながら一の坂川を上り、無事帰宅。奥さんにこっぴどく叱られたのは言うまでもありません。

ブログを再開すっぞ

どもです!(一年振り。。)いつか誰かにお叱りなり、突っ込みをいただくんではないかとビクビクしながら過ごしながら早一年。とうとう尊師よりチクッと、いやドスッとか、ご指摘を頂戴してしまった。
言い訳を始めるとキリがないんですが、FBは何か気が乗んなくなってきたし、インスタで文章を書き過ぎるのにも気が引ける。というかSNSというものは一方的に垂れ流し状態なんだけど、ブログは自分の発信をより明確にかつ、受け取りたい人だけが見ればいいわけだし、やっぱちゃんと書かないとなと考えを改めました。
さて1年ものブランク。何からなんて考えてもしょうがないのだけれど、やはりロックが亡くなったことには触れておきたい。

というのも彼の死があまりにも唐突で、看取ることも、亡骸すら見ていないためなのか、実感が薄いのだ。たまたまwcc worksの現場も超忙しくて、Plainの方もイベント開催で激務続きだったから気が紛れていただけなのか。ふとした時に思い出し、ロックを無くした喪失感がじわじわとやってくる。

犬というのは何とも不思議な生き物で、家族や世帯というコミュニティにおいての地位みたいなものをちゃんと理解しているように思う。
ロックが保健所から山の実家ににやってきたのは13年ほど前。すでに結婚、独立していたので一緒に暮らすことはなかったのだが、2代目のロックが亡くなってしばらくたっていたので自分を含め、それはそれは可愛がった。
3年ほど経ち、仔犬だったロックも山の中を縦横無尽に駆け回りずいぶんと逞しくなってきたころ、岩光家に激震が走り名実ともに父より全ての家督を受け継ぐ事になった。だからといって家族間のコミュニケーションが変わるわけでもないのだが、ロックはそういうこともちゃんと理解していたと思う。言うなれば、ロックにとっての主人はあくまでも飼い主である山の親父だが、家族という群れを率いるリーダー、つまりボスは大祐だということをちゃんとわかっていた。

ロックが10歳を過ぎたころ、彼は近所の庭に仕掛けられた猪の罠に掛かってしまい、右後ろ脚を切断。いつもかえってくる時間に帰らなかったが、脚を引きずりながら自力で帰ってきたそうだ。通常、罠には猪以外の動物が掛からないように米ぬかを主としたおとり餌を仕掛けなければならないのだが、そこにはコンビニの期限が切れた弁当が仕掛けられていたのだ。これは明らかに猟法で禁じられている行為で、ずいぶん憤慨したのを覚えている。
ロックは動物病院に1ヵ月以上入院し、傷口から脚が壊死するのを防ぐ治療を続けた。もともと山暮らしだったので入院生活がよほど辛かったのだろう。退院した時にはずいぶんやせ細り、老犬とも言えるような覇気のない表情を今でもよく覚えている。
いつもならヒンヒン言いながら駆け寄って甘えてくるはずなのに、その時は上目遣いでじっとこちらを見つめるばかりだった。
思い切り撫でてやろうとすると、座った僕の股に顔を埋め、小一時間ばかり全く動かなかった。それは「心配かけて本当にごめんなさい」と言っているようで、こちらも本当に切なかった。
寒い時期だったので父は暖炉のそばでロックを介抱していたが、ロックは元気がなくなるばかりで食欲もなく、いよいよダメかと思っていた矢先、少し外に出してやることにした。するとロックの目は生き生きと開き、びっこを引きながら歩き始めたのだ。そうか、外に出たかったんだねと。そこからみるみるうちに元気を取り戻し、春には三本の脚で今までと変わらないくらい山々を走り回るほどまで回復したのだった。


今月10日の水曜日、山に仲間が集まってバーベキューをした時には子供たちにたくさん可愛がってもらってとても幸せそうだった。12日の早朝、いつものように散歩に出かけて行って帰らず。少々心配したもののその晩保健所から保護されたと連絡があった。放し飼いだけど、絶対に勝手に遠くまで行くようなこともなかったし、近所のコンビニに頼んでもないのに保護犬だとロックの写真が貼りだされていたりと多少不可解な点もあったが一安心。だが翌朝保健所から「朝来たら死んでいた」とあまりにもあっけない電話があったというのだ。
ぼくがそれを知ったのは17日、亡くなってから4日も経っていた。いつものように山の倉庫へ資材を取りに行くも、ロックの姿が見当たらない。散歩に出掛けたのかと思い、山中に聞こえわたる咆哮の如くロックの名を叫んだ。
家の中から出てきた帰省中の末弟から「ロックは亡くなったよ」と知らされた。ちょっと意味がよく判らず、そもそも何故もっと早く教えてくれなかったのかと問い詰めると、憤慨して保健所に怒鳴り込んでは困るからということだった。
看取ってやれなかったのが悔しすぎるし、せめて亡骸を抱いてやりたかった。
ロックは山の庭の中央に埋葬されていた。

書くことでいろんなことを受け入れ、実感が湧いてきた。
一緒に暮らしていないのに、ロックは僕のことが一番好きだったんだ。





tacoma shop in shop 1日目

「おっはよー!ショップインショップ、がんばるよー!」と意気込んだ表情で旅館から出てきたように見えますが、実はこの歴史ある旅館のお部屋が歴史がありすぎて本当に怖かったらしく、寝不足と空腹でトランス状態の渡辺さん。
とりあえず近所のおいしいパン屋さんで空腹を満たしていただいたんですがこれが失敗。

まだ始まってもいないのにカングーで寝る。
たたき起こしていよいよショップインショップ始まりです。

北九州からtravelbooks 遼くんも参戦。

早速物色する渡辺さん。「荷物になるからなー」とブツブツ悩みながらも4、5冊買いこんでいた様子。

お昼も近づいてきてお隣のベジカフェトイトイさんのグリーンカレーもセット完了。ここのグリーンカレー、ココナッツミルクの代わりに豆乳で仕立ててあって、尚且つしっかり辛いからぼく大好きなんです。お客さんにも大好評!
そうこうしているとさっきパン食べたばかりなのに、渡辺さんが餌を待ちきれず目が血走ったマスチフのような形相でお客さんを睨みはじめたので、慌ててカレーを注入。カレー好きの渡辺さんにはこれが一番の鎮静剤。
「ね〜岩光さーん、ビール飲んでいい?」と甘えた声を出すのでしょうがなく許可を下すと、トイトイさんが用意したクラフトビールを勢いよく飲み干し、カレーをおかわり、ビールももう1本チャージ。これが失敗だった。。

ちょっと目を離すと、寝る。すね毛にガムテープでも貼って叩き起こしてやろうと奮起するも、あまりに気持ちよさそうなので目をつむりました。
この日は北九州から電車を乗り継いできてくれた(山口駅からは徒歩!)ナイスガイや、遥々愛媛より海を渡ってやってきてくれたナイスカッポーなど遠方からもたくさんの方にお越しいただきました。食っては寝るだけのただのおじさんかと思いきや、こんなにも多くの人に慕われる存在で、ぼくはこのおじさんを本当に敬愛して止まないのです。この後も近くの昭ちゃんコロッケ食いながらビール飲んで寝てましたけどね。
夕方になり、広島よりオダ理容室の小田さんと、バーバーズ構成員若頭の土佐さんがご来店。みんなで鶏酒場 ケムリへ。

「ん!!この地鶏のタタキ超美味い!おかわり!」とレモンサワーをひたすら流し込みながら談笑。
とても良い夜。
次の日のことも考えて早めに解散。2日目へと続く。

ショップインショップの前日から山口にキャンプインした渡辺さんを迎えに新山口駅へ。
Abusan Weizenのアイスグレーで登場した渡辺さんはまずグランカングーに大興奮。
「でかい!」「ひろい!」
「いいな〜。。これいいな〜。」
「ちょうだい!」
「つーかくれ!」
など、のっけからジャイアンっぷりを発揮。
とりあえずもう無視して、現在住宅に興味津々丸な渡辺さんにおすすめのwccw施工物件を見学に。

引き渡ししたばかりのLOOL店主 大下邸へ。祖母の代より受け継いだ大量生産大量消費時代の古い住宅にリノベをかけたお家です。施主もtacomaのヘビーユーザーで、渡辺さんに是非見にきてほしいということで実現しましたが、「現場に渡辺さんがいる」というなんだか不思議な現象のような感覚。
つづいてこちらも施主夫婦共々タコマを来てくれているwccw 2013年の新築物件 竹重邸へ。

流石愛犬家、ジャックの熱烈な歓迎を受けすぐに友達になっていました。


湯田温泉の老舗旅館(老舗過ぎてちょっと怖かったらしい)にチェックインだけすませ、以前から渡辺さんが来たら絶対にここ!と決めていた聖地 きはらしへ。
このお店、とても一見さんでは入れないような佇まいと雰囲気を醸し出していて、中にはいってもメニューも何もない、席についてもタレすらでてこない、普通の人ならパニック陥ってしまうであろう焼肉屋さんで、賛否両論というより、いわゆる「焼肉屋」が好きな人にはおすすめしないのですが、写真から判るように、渡辺さんはとても気に入った様子。

この後いつものknotでレモンサワーを軽くやっつけて、次の日に備えて早めに解散。
山口のいつも飲んでる馴染みの店で渡辺さんとガハガハ笑いながら飲んでるなんて、いま思い返しても何気なくささやかに感動的なことなのでした。

タコマが街にやってきた

18日、19日とPlainで開催されたTACOMA FUJI RECORDS SHOP IN SHOP。一か月ほど前の渡辺さんとの何気ないやり取りの中で、なんとなく「山口来て下さいよー」と聞いてみたところ「いやおれ全然行くよ!?」と拍子抜けしてしまうほど簡単に決まってしまったこのショップインショップ。今年はTACOMAから怒涛のTシャツリリースラッシュで超多忙なのは知っていたし、本当にそんな夢のような話が実現すんのかよっ!と半信半疑になるほど。だって、何度もしつこいようだけど僕の最も敬愛する人なんですから。
何故そうなのかと聞かれたら、たくさんありすぎて明確にこうだから!ってもんじゃなくて、僕を異常に惹きつける人間臭さと、その中に垣間見る思慮深さ。あと得体のしれない品格(ゆうこさんの言葉を借ります)とでもいいましょうか。
とにかく僕が影響を受け続けている渡辺さんが、東京からわざわざこんな山口まで来ていただけるなど本当に夢のような話なのです。それがいともかんたんに叶ってしまい、あっというまに過ぎてしまった3日間。今こうしてイベントの後片付けをしながら、お客さんや仲間、家族たちと本当に楽しく接してくださった渡辺さんの笑顔を振りかえって、ほんの少しの空虚感と単純に忙しいからそんなこと言ってる暇ねーし!頑張ろう!という気持ちで変な感じです。

会期中は近くの方はもちろん、はるばる海を越えて四国や九州から遊びに来てくれたお客さま、そして関係者のみなさん、TACOMA FUJI RECORDS 渡辺さん、お陰様で本当に良いイベントになりました!また渡辺さんに来ていただけるようにより一層努めて参ります!!!!
イベントの様子はまた随時更新していこうと思います。