柳は緑、花は紅

コンタクトレンズが尽きそうだったので今朝は8時前に眼科へ。週明けということもあって、玄関前にはすでに20人ほどの列。。列のほとんどはご老人で、まだ玄関も施錠されているのに早くから並んで待ってらっしゃる。この眼科は人気があって、いつも2時間くらいの待ち時間。コンタクトレンズを発注するには検診を受けなければならず、かといって診察自体は3分もかからない。たった3分の診察を受けるために2時間待つ。3カ月に1度の憂鬱な眼科検診なのだ。
受付が開くまでに30分は必ず待ち時間があるので、業者への諸連絡や発注事をその時間にこなす。いつもよりさらに早く並んだこともあって、今日は比較的にスムーズだった。
そのあと10時からは顧問税理士の先生と月に一度の定例ミーティング。帳簿や資料を提出して、税務計画を話し合う。もう10年以上になるが、未だに苦手意識を克服できない。でも数字を合わせていく作業は自身の軌跡でもあって、きちんとすることでいろんなことがクリアにもなるので毎回ミーティング後はとてもすっきりした気分だ。
眼科も税務も憂鬱だけど、どっちも必ずやらなければならないこと。人の人生はそんなことのほうが多い。
よく人生を謳歌しているとか、毎日楽しそうで羨ましいなんて言われますが、決してそんなことはない。会社を運営するのも、施主からお金をいただいて家や店を造るのもすべて責任の所存は自身にある。協力業者(下請)の不備やミスを叱るのだって嫌だし、日々の作業がいつもスムーズなわけでもない。失敗だって多い。親が残した負の遺産はとてつもなくデカいし、夫婦だっていつも仲が良いわけじゃない。ましては思春期真っ只中の娘2人と心の成長著しい小3の息子。家族だって価値観の違いで衝突することは多々ある。考えれば考えるほど、嫌なことなんてまぁこれでもかってくらいあるもんだ。
でもそういうことの中にかならず楽しいことや発見、打開策がある。楽しいことは待っててもなかなか来ない。自分で作るものだ。そう考えていれば小さな喜びだって意外とごろごろ落ちている。
南禅寺で座禅を組んだ時の法話で、苦しみを背負って、苦しいなりにその中に喜びを見出して生きていくこと、それが人の生であり、それはひとりひとりとても尊いことだとあった。寒いし、痛いし、めちゃくちゃ腹減ってるし、その中で南禅寺の庭園がのひとつひとつの美しさ、仕事に感動できたならあなたは生きるのが上手なんだと。
気づけば10月も半ば、今年もあとわずか。年末の上棟に向け準備を万全にせねば。
ぼくが敬愛する渡辺さんの言葉を思い出した。
忙しいのは相変わらずだけど、ちゃんと日々感動しながら生きたいよね。