第二章

仕事柄、全国津々浦々いろんなところに行く機会があるが、やっぱり一番のお楽しみはその土地土地の食。鎌倉地方と言えば生シラス丼はマスト。ただその他を知らない。事前にSNSでお勧めを訪ねてみるといろいろな情報が集まってきた。便利な時代になったものだ。一泊二日の道中なのでかなり絞り込まねばならなかったんだが、中でも僕の興味を一気に引き付けたのは、鹿児島の長次郎どんから送られてきた一本のyoutube動画だった。

「ワンオペで人件費分を客に超還元。スーパー女将の特大もつ煮込み野郎飯が凄い」

というタイトルで、再生数は300万回を超えていた。再生が終わり、長次郎どんが推してきた理由に頷いた。ここは行っとかなくては。

今までいろんなお店の開業に関わらせていただいてきた。美容院はたくさん作ってきたし、現時点で3、4件のお話をいただいている。他にラーメン屋さん、焼き鳥屋さん、コーヒー屋さんにベトナム料理店。どんなお店を作るときでも一番大切にしていることが「ひと、もの、はこ」この三つのバランスだ。商売やるのに人は良くて当たり前だが、その人柄や個性はその店の大きな魅力になる。ものとは売るもの、技術やサービスももちろん含まれる。これも良くて当たり前だが、良すぎりゃいいってもんでもない。箱も極めて重用だ。立地は商業圏、文化圏なんかも大事だし、内外装も本当に大事。これもお金かけりゃ良いってもんじゃなくて、あくまで三位一体のバランスが重要なのだ。そういうバランスの取れた店には「いい客」が付く。それをもって本当にいい店ってのが成り立つものだと考えている。

この動画に登場するもつ乃さんは開店一年と余りにも関わらず、人とモノと箱のバランスが完璧で、そこに集まる良い客によって完成されている。一日100食超の定食が昼過ぎには完売、しかも仕込みから接客、後片付けから雑務に至るまでたったひとりでこなす女将さんのシステムと気概をこの目で確かめたいと思った。このお店に行くために急遽新幹線をキャンセルして飛行機のチケットを取り直した。

出発の3日前、忙しくないであろう時間帯を見計らってもつ乃さんに電話、当日の状況を聞いてみた。とても丁寧な応対だったが、数日前に日テレの番組で取り上げられたらしく、恐らくとても忙しくなるだろうとのことだった。始発の飛行機で山口から向かうことを告げると、「まぁ!そんなに遠くから!?お気をつけてお越しくださいね、ただ売り切れちゃってたらごめんなさい!」要するに、どんだけ遠くから来ようが特別扱いはできないという意味だ。当たり前だ。その為に飛行機のチケットを取り直したのだから。

出発当日、山口は明け方から大雨だった。フライトは7時40分。結構ぎりぎりで空港に到着。出発ゲート前で待っていると、大雨の為に離陸が遅れるアナウンスが流れた。この時点で暗雲が立ち込めていたが、まだ焦ってはいなかった。本来なら羽田着が9:20、すぐに空港線で横浜、ドンピシャで相鉄線で海老名まで、バスに乗り換えて11時台にはもつ乃に到着できる予定だった。結局飛行機は30分遅れで離陸、機内では携帯で最短乗り継ぎルートを検索することができず、だんだんと焦り始めた。

羽田に降りるや否や競歩の歩みで進む。時に小走りで、階段は一段ぬかしで進む。空港線は運よく快速に飛び乗れた。だが相鉄線でホームを間違える痛恨のミス、海老名行きの急行を一本逃してしまう。海老名に着いた時点で本来の到着時間を超えていた。もしかしたらもうだめかもしれない。でも行くしかない。バスはさっき出たばっかりで、ここでも20分待つことになった。

最寄りのバス亭に着いたのは12時20分。半べそ駆け足でお店に向かった。遠くからでも店の外に並ぶ列が見えた。この日の関東は猛暑だったが、そんなことは関係ない。他の客より1秒でも前へ。そしてもつ乃に到着した時の写真がこれだ。

おわかりいただけただろうか。

わたしの1組前の夫婦でこの日の全てのもつ煮込み定食は売りきれた。

こんなことってあるのか。。

あと五分早ければ。。。

悲しさや悔しさを超えた、ただただ空虚な感情でしばらく立ち尽くした。

最後の盛り付けをしたのを見計らって、女将さんにお土産を渡した。

「あ!お電話下さった山口の!」

「大雨で飛行機が遅れてしまって…残念です(半泣)」

「本当にごめんなさい!もしまたこちらに来られることがあったらまたいらしてください!」

もしかしたらもう一食分。。という淡い期待が1ミリも無かったかというと噓になるが、その期待も無残に散る。その間にも次々にお客がやってくる。女将さんはその一人一人に丁寧にお断りをしていた。

奇しくも帰りのバス亭はもつ乃の前の道を挟んだ向かい側だった。時刻表を見ると次のバスまで50分。マジか。しかも空からは無情の雨が落ちてきた。もつ乃からは、満足そうな顔をしたお客が次々と出てくる。その間もまだ新しい客がやって来ては、残念そうに、または不満そうに帰っていく。

あと数名店内に残っているくらいの時に、女将さんが暖簾やのぼりを仕舞いに出てこられた。道を挟んで軽く会釈をすると「バス何分ですかー!?」と大きな声で尋ねてきた。

「まだ当分来ないみたいですー!」と答えると、女将さんが手招きしてこっちへ呼んでいる。え!?。。何々??ダッシュで信号を渡る。

「鍋の底を集めたのでよろしかったら一食分出せますのでどうぞ中へ!」

わたしはこの数分間で一年分の絶望と感動を一気に味わった。

動画で見た、あのもつ煮込み定食だ。醤油味のもつ煮込みには新鮮なネギがどっさり。この日のお味噌汁は赤だし。女将さんが毎日数種類漬ける浅漬けと、卵焼きは紅生姜入り。渾身のいただきますを言って、割り箸を割った。

もつはとにかく一切れが大きい。だけど簡単に嚙み切れるほど柔らかく、飲み込むのも容易だ。臭みも全くなく、思ったよりあっさりしていてとにかくご飯が進む。ガツガツ食べ進めたいのは山々だが、食べられたことへの多幸感の方が勝って一口づつ噛みしめながらいただいた。

店内には誰も居らず、女将さんと少しお話することもできた。次は必ず、味噌味とカレー味を食べに来ます!と約束してお店を後にした。

ひとの優しさに触れて、ひとを幸せにする仕事を自分も頑張ろうと思った。海老名に戻るバスは大渋滞でちっとも進まず。周りの乗客はずいぶんイライラしている様子だったが自分は弾むような気持ちでいた。それから二時間もすればあの中村好文さんにあえるのだから。

続く