PLAIN T

Plain1周年を機に製作したPlainTシャツとトートバッグです。
明日9日土曜日より店頭及び通販にて販売致します!

デザインは日頃よりお世話になっているhamburg 田嶋氏。
制作協力にwork fitter ヤス氏、Night Plain dj yossy。
日々の生活のなかでよりガシガシ着ていただけるよう、6.2オンス、ヘビーウェイトボディを採用。繰り返し洗濯しても味のあるヘタリかたを楽しんでいただけるかと思います。
ワンウォッシュ気味のブラックボディにはよりロゴが映えるようフロッキープリントを採用。
ミックスグレイボディにはロゴの手描き感がより伝わるようにシルクスクリーンを採用。
各サイズごとにプリントの位置を細かく設定し、120・XS・SとM・L・XLでロゴサイズを変えています。
BLACK XS,S,M,L,XL 各サイズ ¥3,300− (税込)

MIX GRAY XS,S,M,L,XL 各サイズ  ¥3,300- (税込)

各色キッズサイズ    120のみ   ¥2,700- (税込) 

*サイズにつきましては写真のサイズ表を参考にしてください。

トートバックはA3サイズがすっぽり入るビッグサイズ。頑丈でざっくりしたキャンバス地にこってりとのったプリント具合が最高です。
実はこのトートバック、Plainでのお買い物時に持参頂くと容器代、梱包包装代としてお買い上げ金額より5%割引を受けられるという特典付でございます。しかもその効果はバッグが裂け、朽ち果てるまで続くというのだから素晴らしい! *ただし割引はこちらの判断でバックに入る商品までとします。

PLAIN TOTE BAG  w約48 h約32 底幅約14   ¥1,000-

尚、通信販売につきましてはご希望の商品の詳細、郵便番号、ご住所、氏名、電話番号を plain1032@gmail.comまでお願いします。メール確認後、料金及び支払方法等のメールをお送りいたします。
あくまでもウェブショップではございませんので、設備等の不備をお詫びすると共に御理解いただけるよう宜しくお願いいたします。


たくさんつくっちゃったので、みなさんドシドシお願い致しますっ!

U→祐天寺
I→池尻大橋
Y→用賀
N→中目黒
K→北大路!!

何の話だよ!?ってハナシですね。
先月末に盛岡に住む母方の祖父が他界しまして、享年92歳の大往生でした。とてもファンキーなおじいちゃんで、遺影の写真はNORTH FACEのニットかぶってましたからね。やりたい放題やってきたおじいちゃん、天国行けたのかどうだかわからんけどさ、やっとゆっくりできるね。

せっかくこっちまで来たんんだからということお店で扱うブランドの方々とアポを取って東京で下車。まず目指すのはVALLICANS HARVESTA! 岡部氏の事務所。東京駅から山手線で渋谷まで、そっから東横線 祐天寺駅で下車。ど平日の昼下がりということもあって、電車は空席があるほど。明らかに都民でないリュックサックルックのぼくでもなんなく移動に成功。
しかしスマートホンの地図機能はすごいよね。iphon無かったら絶対にたどり着けないようなマイナーな駅と道。

歩くのは好きなので苦にはならないけど、自分が今どこにいるのか全くもってわからない状態というのはとても不安なものだ。
ほどなくして地図に表示された場所に到着。が、オフィスっぽい感じじゃない。うろうろしていると、見つけた。


雑誌やウェブでいつも拝見している岡部さん。1年ほど前からメールでのやり取りがはじまり、いろんな経緯があってこの日初めてお会いしました。忙しそうにサンプルをチェックしながらお茶を淹れてくれて、しばしの会談。いい意味での緊張感がある中でお互いの距離を測る。
その緊張を吹っ切るように次に向かうTACOMA FUJI RECORDS 渡辺さんから連絡が。
「うちにきたあと一杯飲もうよー!岡部君も来なよって誘っといて!」
唐突な誘いにも関わらずそれならばということで岡部さん快諾。向かうお店の近くのホテルまでとっていただいてありがたい話です。
岡部さんといったん別れてタクシーでTACOMA OFFICEのある池尻大橋へ向かう。ちょうど夕方5時くらいの帰宅ラッシュなのか、道が混んでいてタクシーの運ちゃんはずっと舌打ちしている。
「チッ、ナビの通りいったらロクな道通んないなー、チッまた工事だよー。チッ!あーここ歩行天だ、お客さんもうすぐそこだからさ、ここで降りてーごめんねー。」ってな具合に。
タクシーを下車、即時マップ起動。ん、近いぞ。でもなんか違うな。グルグル区画を廻って渡辺さんに電話。
「あーどうも!たぶんいま着いたと思うんですが。カラオケ屋さんがあって、どーのこーの」
「あーどもっ!そのカラオケ屋の階段上がってどーのこーの、そしたらぼくヌンチャク振り回して待ってますから!」
「あーまじすか!ならぼくもそれ相応の装備をしてから行きますんで後ほど!」

ほんとにここであってんのかよってくらい薄暗く狭い階段を登りながら指示通りに進んでいくと、あった。
いつもウェブ上で見るこの風景。

とても初めて会うとは思えない人同士の会話をしながらTACOMAの旧作を漁ったり、室内の物色に専念。そういえば途中何度もPG(ポルターガイスト)が起こっていたけど渡辺さんその後大丈夫かなー。なんどもTシャツが勝手に宙を舞いだしたり、事務所の電気が全部消えたりついたり。ぼく自分じゃわかんないけど人から超霊感強いでしょってよく言われるんすよね。
(実際はTシャツがちょっとずれただけで、電気はトイレに行く際ぼくが間違って全部消しちゃっただけです)
「じゃそろそろ行こうか!」と渡辺さん。用賀まで電車で向かい「芝浦」というもつ焼屋さん?へ。
市場っぽい商店の中に、ビニールで覆われたカウンターのみの狭い店内。常に隣の人と肩が触れるくらいの距離間で一人あたりのテーブル占有率は40センチほどか。もちろん裸電球。もうね、ドストライクですよ。何食っても旨いし。
30分ほど遅れて岡部さん登場。何話したのかは詳しく覚えてないけど、とにかくぼくの声がハスキーだって話は覚えてる。




もうね、わやですよ(笑)渡辺さんは9時を過ぎた辺りでサクッと帰宅。岡部さんとは一気に距離が縮まって、園芸やそれにまつわるカルチャーや遊びについてけっこう本気な話をしました。がっちり握手を交わして別れた後、15年来の友人の待つ中目黒へタクシーをぶっ飛ばす。けんちゃんとは2年ぶりくらいかな、お互いの近況報告なんかをして2杯くらいラムを飲んだかな。そのあとはもうよく覚えてない。タクシーでなんとかホテルに戻り就寝。
翌朝、わりとシャキッと起きて身支度を整え駅に向かう。が、通勤ラッシュ。これが噂の満員電車か、しばし傍観した後諦めるように引き返す。だってとてもじゃないけどこのリュックサックルックじゃ乗れないよ。しばらく散策してみることにした。
都内には数日前に降った雪がまだ溶けずに道の傍らに残っていて、道急ぐ人達は雪とのろまな僕を避けながら歩いていました。
すると京都LIFETIME 説田さんからメールが。
「帰りいつですかー?ウチにも寄ってくださいねー。」なーんて、うれしいこと言ってくれますねー。よっしゃ、なら今すぐ新幹線のって電撃京都訪問じゃー!
14時過ぎに京都へ到着。烏丸線から北大路バスターミナルへ。京都は去年も来てるし、迷うことなくサクサク進む。
着いた。

説田さんとは1年ぶり。新店舗になってからは初めてだ。うちのお店の仕入商品を実際に手に取ってみれる良い機会だし、陳列方法などくまなくチェック。さすが大先輩、勉強になります。2時間ほどか、短かったけどしっかり話し込めて良い時間でした。ほんとは一杯やりにいって泊まって帰りたかったのですが、後ろ髪ひかれる思いでお別れ。説田さん!次は必ず!

そんなこんな今回の珍道中。弾丸ツアーながら得たものは多大。そしてそのご縁をつくってくれたじいちゃんに、心より感謝。

なんだか一年を総括するためのブログみたいな更新頻度ですが、めげずにいってみよう。
今年もなんだかんだお陰様で忙しくさせて頂きましてありがたい限りです。今年も相変わらずの破天荒な一年でしたが、なんといってもやはり園芸店 Plain の開業と、YCAMの10周年記念事業のひとつ、コロガルパビリオンのお仕事が印象的でしたね。
ちょうど一年前、ぼくのひょんな思い付きから始まったPlain。お店を開業するに当たって取り扱う商品は既に搾られていたので、まず京都の園芸店 LIFETIMEの説田さんを訪ねました。たまたまその晩京都に集まった、全国の植物にまつわる方々との酒席に同席させていただきまして、園芸に関わらず音楽やファッション、その他様々なカルチャーを持つ人達との話にとても感銘を受けました。これこそがぼくのやりたい店のコンセプトじゃないか!って。
それからはTACOMA FUJI RECORDSの渡辺さんや、VALLICANSの主宰でHARVESTA!の岡部さんと良縁を頂き、あれよあれよと話が進み。植物の仕入れのほうも最初は随分と無駄な事をしていましたが、mossの嶋末さんから同業者にも関わらず良い仕入れ先を紹介して頂きました。高橋さんこれからもどうぞ宜しく。
イベント出店の依頼などもいただいて、なんとかお店らしくなってきたというところです。
コロガルパビリオンについては、とても1回や2回では語ることのできない数々の伝説とドラマが生まれました。ですのでこちらはシリーズ化決定です。名古屋シリーズを超える大作の予感。
もちろんその他にも、住宅の新築や店舗改装など良い仕事をたくさんさせていただきました。
最近よく植物屋と建築業とどっちが好きですか?とか、どっちが本業か副業かわからんねーなんて言われるんですが、ぼくの中では正直なところ本業・副業といった感覚じゃないんです。家というのは衣食住の箱であって、それに付随するいろんなカルチャーと全て関わりがある。だからぼくは自分の得意な建築と園芸を絡め、それにまつわる遊びまでも仕事にしてしまおう!という感じですかね。
2005年の元旦にwcc worksは設立し、来年は9年目。独立当初からの設計コンセプト、「身の丈に合った、簡素で豊かな暮らし」というのは今も変わらず。園芸はもちろん、「本当の豊かさってなんだ?」ってことをさらに深め、表現していければと思っております。
10年目には税理士さんとの約束、「法人化」という目標がすでに用意されているので来年はそれに向けての準備もしないとな。1月からは新しいスタッフも増える。いろいろと大変そうだけど、楽しみです。
えー、今年1年お世話になった皆様方、ほんとうにありがとうございました!ご迷惑をお掛けしてしまった事や気分を害してしまった事も多々あるかと思いますがごめんなさい!でもこれがぼくです!!
来年も全ての人にとって良き年でありますように!

毎週日曜日の午前中に開催している園芸朝市も今日で4回目。
だんだんと認知せれてきているようで賑わってきました。
毎週きてくれる人や、通りがかりの人、近所のおばあちゃん。
若いカップルや紳士淑女のみなさんまで幅広い方が来店されます。
なんかいろんな方がご紹介してくださっているようでありがたい限りです。
今日はそんな園芸市のファンのひとりの好青年が撮ってくれた写真があまりにも素敵だったのでご紹介。

ディスキディアという下垂系植物のハンギングバスケット仕立て。



ヒカゲヘゴというシダの仲間。ナウシカ系。


こんもりセダムの和風仕立て。


んーいいねー。



ネオグランジなんちゃら。かっけーなー!これいちおし。


何植えようかな。


骨董市で見っけた大砲の薬莢にハオルチアを植えてみた。神々しい美しさ。
武器を捨て、植物を。

今日はここまで。

幼い頃は内気で草木や虫達とばっかり遊んでた気がする。
そんな姿が気持ち悪かったのか、いじめられたりもしてたな。
どういうわけか、こんな人間になっちまった訳ですが(笑)
それでもまさか植物好きな大工さんが、好きが高じて植物屋さんを
やっちゃうなんて夢にも思わなかったですけどね。
改装工事も八割がた終わり、いよいよといったとこなのですがいろんな事情があって未だ開店に至らず。。。やはり本業との両立はかなり難しい。ただやると決めたらやるやる男、ちょっとづつ調整しながら両立の道を掴んでいこうと思ってます。
実は植物はたくさん入荷していて、厳選した鉢に研究を重ねた自家製の培養土で植え替えて、続々と巣立っていっております。
先日は我慢できない人達のために、日曜日の朝に園芸市を開催したんですが意外にも多数の御来店をいただき好評に終わったところであります。
そこで9日の日曜日、朝9時から正午まで限定園芸市を開催します!

レインボーファンっていうシダ。光の加減によってエメラルドグリーンに輝く葉は息を飲むほどの美しさ。



チランジア、いわゆるエアープランツっていうやつもいろんな仕立て方で多数ご用意。
多肉植物やその他この辺じゃ見れないような珍品も。
みなさんの御来店お待ちしております。
あ、Labourのトレイやフレームもありまーす!


洗面所。北の角の一番日の当たらない部屋だけど、天井とフラットに配置した窓のおかげで気持ちのいいお部屋になりました。



寝室。どうっってことないただの寝室だけど、ざっくりとふんわりの間をとった感じのカーペット貼りとしました。朝イチの床に降り立つファーストタッチって大事と思うんすよね。
夏は合板フローリングのようにべとつく事なく、冬はふんわり暖かい。寝室カーペット、おすすめです。



二階へ。デンマークから日本の家具の技術を学ぶ旅の途中にやってきたナット。デカいなー!



二回はほぼワンフロア。ハウスメーカー的には部屋数があるほうが良しとされるんでしょうけどね。
子供部屋にもばっちり鍵付きのドアがついてて、テレビもゲームもインターネットもやりたい放題!彼氏彼女だって呼び込めちゃうような部屋を子供に与えるなんてありえない。
居心地が良すぎるもんだから、パラサイトして当然だよなー。自立心も育たない。
思春期になりゃそん時に間仕切り壁くらいつくってやるよ。あとは自分で工夫してなんとかすりゃあいい。なあ、ゆうご!


壁にはこんな開口があいてて、


こんなふうにリビングからキッチンまで見渡せる。
母親が料理をしてる音や匂いを感じたり、酔っ払った親父がソファでガーガーいびきかいてんのを見下し気味に見降ろしたりできるってわけだ。
プライベート性を確保しつつ、家中どこにいても家族の気配を感じれる。
あのさ、例えば子供が五歳の時に家ができて、子供が家に居るのなんてせいぜい10数年なんだよ。
家が住む人に与える影響って大きいと思うんだ。少なくとも僕が大工になったきっかけはぼくが育った家だしね。



こうやってみんなでご飯作ってさ、たのしかったねー。
簡素で豊かであること。日々の暮らし、日々の糧を得る。
僕はただ家造ってんじゃない。
じゃなにつくってんだって?
よくわかんねーや(笑)