おしゃれとはなんぞや

最近ではその手軽さからFBやIGでの発信ばかりになりがちですが、いかんいかん。本当はもっと書きたいし、きちんと正確な伝わり方をするためにしっかり書かないといけないと思っています。

僕の投稿した現場や家具、あとお店の植物や商品の写真にはいろんな反応を頂きます。反応が欲しいから投稿するわけであって、ああいうものは言わば自己顕示欲的な要素もあるわけですね。そういうものを手軽に発信し交流できるのがSNSの良いところなのでしょうが、発信者としての自覚や責任とか覚悟が必要ですし、あとあまりネガティブな要素を発信するのも避けたいところです。とりあえずぜんぶいいね!のひとや、いいね!したのにいいね!こないのひと等の所謂「いいね病」のひとは少し自制をするべきではとも思っています。少なくともぼくはひとつもいいとも思わないのにいいね!なんて馬鹿げてると思っています。
だけどさ、やっぱり自分の尊敬してるひとなんかからいいね!がくると嬉しいもので、ある特定の人達から反応があったとき、しかもそれが2人同時だったりすると「よし!」と喜んでいる自分もいるわけですよ。

つい先日、それこそ完成したリノベーション現場の写真を投稿したのですが、「お洒落ですね!」とか「うちもこんなふうにお洒落にしてほしいです!」とかいうコメントをいただいたんです。「へ〜、こんな質素で慎ましい引き算の建築が、お洒落に感じてくれるひともいるんだなぁ」というのが正直なところです。
「おしゃれ」と聞くとなんだか妙にこっぱずかしい気もするし、大体おしゃれに造っている気はさらさらないのです。ぼくにとってお洒落とは薄い衣のようなもので、ようするに表面上の話なわけです。

写真は約3年が経過したT邸の台所。シナ材の合板で造った引出や棚のユニットの上にオーダーしたステンレスの天板を乗っけただけの実に簡素なキッチンです。システムキッチンのようなピカピカで多機能な利便性はありませんが、本当に料理をするひとであれば、ぼくはこういうキッチンの方が断然良いと思うのです。だってほら、プロの厨房には食器棚以外戸や引出はないでしょう?
棚には戸がついていないのでなにがどこにあるかが一目瞭然。中に湿気がこもることもなくよっぽど清潔です。調理器具なんかも敢えて隠さない潔さ。ぼくが最も敬愛する建築家 中村好文さんも著書の中で「台所観」についてこう語っています。
「美しく散乱する台所、あるいは多少の散乱くらいでへこたれない大らかな台所が私の理想です。」
「料理には段取りと手順があり、それを手際よく裁いていく一連の流れの待ったなしの最中に飛び散る油や吹きこぼしや、ソースがはねるのをいちいち気にして心を痛めていたのではとても料理になりません。台所は小さな戦場、もしくは修羅場と考えていた方がよさそうだ」*中略あり

つまりこの台所は機能や必然性から生まれたかたちであって、その本質を住まい手である彼らがよく理解して使っているからこそ良い台所になっているんだと思います。そしてそれの積み重ねが良い住宅となるわけです。その様子がお洒落にみえるのでしょうか。
逆に、どんなにお金や時間を費やしてつくったとしても、住まい手と価値観を共有できなければ佳い住宅にはならないのかもしれませんし、実際にそういうことは多々あります。そういう場合、「お洒落」が先行している場合が多いのもまた事実。
大事なのはもっと深いところにある本質的な部分であり、表面的で薄っぺらいこだわりなんて持つと、それこそ痛い目に遭ってしまいます。

ですから、ぼくにはおしゃれなものをつくるセンスはもっていないのです。ごめんなさい!

次回はものつくりにおける「こだわり」についてを書こうとおもいます。(宣言することで自身に約束をする意)