ブログを再開すっぞ

どもです!(一年振り。。)いつか誰かにお叱りなり、突っ込みをいただくんではないかとビクビクしながら過ごしながら早一年。とうとう尊師よりチクッと、いやドスッとか、ご指摘を頂戴してしまった。
言い訳を始めるとキリがないんですが、FBは何か気が乗んなくなってきたし、インスタで文章を書き過ぎるのにも気が引ける。というかSNSというものは一方的に垂れ流し状態なんだけど、ブログは自分の発信をより明確にかつ、受け取りたい人だけが見ればいいわけだし、やっぱちゃんと書かないとなと考えを改めました。
さて1年ものブランク。何からなんて考えてもしょうがないのだけれど、やはりロックが亡くなったことには触れておきたい。

というのも彼の死があまりにも唐突で、看取ることも、亡骸すら見ていないためなのか、実感が薄いのだ。たまたまwcc worksの現場も超忙しくて、Plainの方もイベント開催で激務続きだったから気が紛れていただけなのか。ふとした時に思い出し、ロックを無くした喪失感がじわじわとやってくる。

犬というのは何とも不思議な生き物で、家族や世帯というコミュニティにおいての地位みたいなものをちゃんと理解しているように思う。
ロックが保健所から山の実家ににやってきたのは13年ほど前。すでに結婚、独立していたので一緒に暮らすことはなかったのだが、2代目のロックが亡くなってしばらくたっていたので自分を含め、それはそれは可愛がった。
3年ほど経ち、仔犬だったロックも山の中を縦横無尽に駆け回りずいぶんと逞しくなってきたころ、岩光家に激震が走り名実ともに父より全ての家督を受け継ぐ事になった。だからといって家族間のコミュニケーションが変わるわけでもないのだが、ロックはそういうこともちゃんと理解していたと思う。言うなれば、ロックにとっての主人はあくまでも飼い主である山の親父だが、家族という群れを率いるリーダー、つまりボスは大祐だということをちゃんとわかっていた。

ロックが10歳を過ぎたころ、彼は近所の庭に仕掛けられた猪の罠に掛かってしまい、右後ろ脚を切断。いつもかえってくる時間に帰らなかったが、脚を引きずりながら自力で帰ってきたそうだ。通常、罠には猪以外の動物が掛からないように米ぬかを主としたおとり餌を仕掛けなければならないのだが、そこにはコンビニの期限が切れた弁当が仕掛けられていたのだ。これは明らかに猟法で禁じられている行為で、ずいぶん憤慨したのを覚えている。
ロックは動物病院に1ヵ月以上入院し、傷口から脚が壊死するのを防ぐ治療を続けた。もともと山暮らしだったので入院生活がよほど辛かったのだろう。退院した時にはずいぶんやせ細り、老犬とも言えるような覇気のない表情を今でもよく覚えている。
いつもならヒンヒン言いながら駆け寄って甘えてくるはずなのに、その時は上目遣いでじっとこちらを見つめるばかりだった。
思い切り撫でてやろうとすると、座った僕の股に顔を埋め、小一時間ばかり全く動かなかった。それは「心配かけて本当にごめんなさい」と言っているようで、こちらも本当に切なかった。
寒い時期だったので父は暖炉のそばでロックを介抱していたが、ロックは元気がなくなるばかりで食欲もなく、いよいよダメかと思っていた矢先、少し外に出してやることにした。するとロックの目は生き生きと開き、びっこを引きながら歩き始めたのだ。そうか、外に出たかったんだねと。そこからみるみるうちに元気を取り戻し、春には三本の脚で今までと変わらないくらい山々を走り回るほどまで回復したのだった。


今月10日の水曜日、山に仲間が集まってバーベキューをした時には子供たちにたくさん可愛がってもらってとても幸せそうだった。12日の早朝、いつものように散歩に出かけて行って帰らず。少々心配したもののその晩保健所から保護されたと連絡があった。放し飼いだけど、絶対に勝手に遠くまで行くようなこともなかったし、近所のコンビニに頼んでもないのに保護犬だとロックの写真が貼りだされていたりと多少不可解な点もあったが一安心。だが翌朝保健所から「朝来たら死んでいた」とあまりにもあっけない電話があったというのだ。
ぼくがそれを知ったのは17日、亡くなってから4日も経っていた。いつものように山の倉庫へ資材を取りに行くも、ロックの姿が見当たらない。散歩に出掛けたのかと思い、山中に聞こえわたる咆哮の如くロックの名を叫んだ。
家の中から出てきた帰省中の末弟から「ロックは亡くなったよ」と知らされた。ちょっと意味がよく判らず、そもそも何故もっと早く教えてくれなかったのかと問い詰めると、憤慨して保健所に怒鳴り込んでは困るからということだった。
看取ってやれなかったのが悔しすぎるし、せめて亡骸を抱いてやりたかった。
ロックは山の庭の中央に埋葬されていた。

書くことでいろんなことを受け入れ、実感が湧いてきた。
一緒に暮らしていないのに、ロックは僕のことが一番好きだったんだ。